研究者紹介研究者・シーズにスポットを当て取材、理解を深める記事。

5これからの工業製品に求められる「使いやすさ」を
追求することで次につながるものづくりを。

近頃、工業製品の世界ではよく耳にするようになった「人間工学」というキーワード。使い心地が良さそうなイメージはあるものの、その実態はあまり知られていない。この人間工学を専門とする研究者・平田一郎は、独自の実験や評価を実施して「使いやすさ」を追求している。

公設試名
兵庫県立工業技術センター
肩書き
生産技術部 主任研究員
研究者名
平田 一郎 氏
研究テーマ
ユーザビリティ評価
専門分野
人間工学

研究のきっかけ

県内企業のデザイン・設計担当者に集まってもらい「デザインに関する勉強会」を開催したところ、「操作性を考慮したデザイン」や「使いやすさ」への強いニーズを感じ、2004年から研究開発をスタートさせた。

工業製品の開発だけでなく、
製作環境のマネジメントも人間工学のひとつ。

株式会社ノーリツとの共同研究(2006 – 2012)
お湯の温度調整以外にも様々な機能が使える高機能な給湯器リモコンは、便利な反面、操作が複雑になる傾向にあった。この問題を解決するためノーリツと共同開発したのが、使いやすさとデザイン性を両立させた給湯器リモコンだ

人間がものを取り扱うときには、ものの重さや使うときの動作に応じて肉体に負担がかかる。その負担を分析し改善していくのが、「人間工学」という学問の大きな目的だ。便利さや快適性、安全性まで含めてその商品の「使いやすさ」は決まる。「ただスペックで性能が測れるものとは違い、使いやすさとは数値化がしづらいものです」と、人間工学を専門とする平田一郎は語る。
同センターには以前、「産業デザインセンター」というセクターがあった。平田はこちらで県内の地場産業向けにデザインのセミナーや講習を企画していたが、2002年の3月に廃止となり現在の部署へ。デザインに関して企業への情報提供、ニーズの収集をしていくうちに製品の「使いやすさ」への関心が高まっているのを実感する。そこで職場の大学派遣研修制度を使い、和歌山大学システム工学部デザインエルゴノミクス研究室の山岡俊樹教授のもとで使いやすさ、ユーザビリティ評価を学ぶことに。「セミナーで山岡先生の講演を聴き、学術的な観点から研究されている方が多いなか実用性を考慮した研究されており、この先生に教えてもらいたいと思ったんです」
その後は企業を集めた勉強会を定期的に開催。ニーズをすくい上げて提案し、いくつかの事例を発表することで企業からのアプローチも増えた。
株式会社ノーリツとは、操作画面を扱いやすくするだけでなく、操作性の検証を開発プロセスとして定義した。過去は、試作をもとに操作性評価をしていたが、アニメーションソフトとタッチパネルディスプレイによるプロトタイプの使用を提案。これによってデザイン検討と同時に操作性の検証をモニタ上でおこなえるようにした。「最近の流行りであるアジャイル開発のように、短いスパンで修正・改善を何サイクルもまわせるプロセスができました」

体圧分布を可視化し、
背負ったとき軽く感じる理由を分析。

株式会社セイバンとの共同研究(2007 – 2010)
「軽くて背負いやすい」と人気のランドセルのエビデンスを示すため、マネキンによる実験をおこない人間工学的な観点から分析した。

株式会社セイバンとの「身体負担軽減を考慮した学童用ランドセルの評価」では、「軽く感じる」という感覚的なものを視覚化。同社の人気商品「天使のはね®」ランドセルは、肩ベルト上部の身体との接触面に弾性補強材を入れることで、ランドセルのフィット性を高めている。実際に背負ってみるとその軽さを実感できるが、これを背負ったことのないユーザーへの効果訴求のため、「なぜ軽く感じるのか」という理由について人間工学的な観点からの分析が求められた。「また今後の改良のため、それを製品開発の基礎データとし、カタログにも記載したいとのお話で、ランドセルの背負いやすさについて定量的な評価と分析もおこなう必要がありました」
まずは背負ったときの圧力分布を計測するために、センサマネキン(6歳児の平均サイズ)を製作。「天使のはね®」がついているものとそうでないものの3種類を用意して、背負った状態で圧力分布を計測。そこから体感重量とベルト形状の関係について分析した。「その結果、天使のはね®ランドセルは、肩にかかる圧力が背中や腰の部分に分散されるため、軽く感じることが実証されました」

筋肉への負荷や動作を分析した
身体への負担の少ない掃除機。

シャープ株式会社との共同研究(2017)
掃除機の開発では、ユーザビリティ評価としてコード付き、コードレス、スティック、3種類の掃除機の違いを計測するために、動作を測るモーションキャプチャと、筋肉への負荷を測る装置を使って評価された

嫌いな家事でつねに上位にランクインする掃除。その原因のひとつとして、身体への負担があげられる。昔ながらの電源コード付きキャニスターは、手元は軽いものの本体が重く、準備や片付け時の持ち運びが大変。また電源コードの抜き差しが必要なので、掃除をはじめる際や部屋から部屋への移動時、腰を曲げる必要があった。それに対して最近人気のコードレススティックはコードの抜き差しは不要だが、モーターやバッテリーの重さがすべて腕にかかって、家全体を掃除する場合はやはり身体への負担が大きい。そんな「大変で面倒な掃除」を「ラクで楽しい掃除」に変えるべく、コードレス化と軽量化を設計目標として開発が進められる中で、シャープ株式会社と平田は人間工学的な効果実証を試みた。
まずは掃除機のユーザビリティ評価として、6畳の部屋を模した会場をつくり、12人のモニターに3種類の掃除機で同じ作業をしてもらった。床や階段エアコンの上などいろんな場所を想定して筋肉への負荷を測る筋電図測定、モーションキャプチャによる動作解析をした結果、標準質量2.9kgの軽量ボディ、コードレスなのに強力なパワーを備えたキャニスター掃除機であることが実証された。この商品は日本人間工学会の「平成30年度人間工学グッドプラクティス賞」において最優秀賞を受賞している。

「使いやすさ」を視覚化するため
測定の方法や機器も開発。

圧力分布可視化システムでは、被験者と対象物に圧力センサーをつけて計測、それをタブレットに表示・記録して確認する。タブレットの画面で対象物を撮影し、センサーの位置を指定。グリップに力がはいると色が変化し、圧力分布の状態をリアルタイムで見ることができる

人間工学の規格としては「人間工学規格」というものが存在するが、限定的なシチュエーションで使われる製品開発においてその数値をそのまま適応させることは難しいという。そのためメーカーから相談の際にはこちらの推奨値などを参考にしながら、独自の実験や評価を実施している。そうして開発したもののなかに「圧力分布可視化システム」がある。これは製品にかかる負荷をリアルタイムでモニタリングできるもの。圧力分布の可視化でよくあるのはベッドなどの検証に使われるシート状のものだが、あれだと対象物がフラットでないと正確に測れない。こちらは製品の持ちやすさの指標を、圧力分布から導き出すことを目的に開発された。
平田は工業技術センターを「製造業の町医者」にたとえる。「患者は具合が悪いととりあえず町医者に駆け込む。そこで治らない場合は専門の病院を紹介します。それと同じくセンターで解決しない案件は民間の研究所や大学といった専門機関を紹介する。また病院も症状によって多くの科に分かれているように、機械加工や電子応用技術、精密加工といったものは、できるだけ早く解決する=手術や薬で早く直す西洋医学。そして私が担当する、使いやすさやデザインといったものは将来のことを考えた対策で、漢方薬でゆっくり治す東洋医学みたいなもの」だと語る。「さらにいえば企業にとっては商品を実際に使ってもらって“次もここの商品を買いたい”と思わせることが大切。これは人間でいえば健康寿命を延ばすことにつながります」。人間工学の規格はあれど、その概念、考え方は広い。人にとって本当に使いやすい製品の開発、すなわち人間工学の役割がもっと世の中に浸透していくことで、より豊かな製品が生まれていく。

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